天使になった我が子が教えてくれた事
こんにちは.。ママンです✨
今回は天使になったソウちゃんが教えてくれた事についてお話しします。
ソウちゃんhistory
2016年に四男坊であるソウちゃんの妊娠が発覚しました。
前記事で書いてあるのですが、ママンは子宮奇形ということで医師から子供を産むことは諦めたほうが良いと言われていました。
子供を産むことって
ママンに限らず、妊娠から出産をするまでって本当に奇跡ですよね。
そんなママン。
本当にお恥ずかしいのですが、もしかすると不快に思われる方もいるかもしれません。
ソウちゃんの妊娠がわかった時、検査薬に線が出たときは嘘偽りなく心から喜びました。
だけど、それと同時に襲いかかってくる不安。
産まれてきた後、生活ができるだろうか…
育てていくだけの経済力が我が家に果たしてあるのだろうか…
一瞬だといえ、おろす事を考えてしまったママンがいるのも事実です。
でも、それは嫌!
ママンとパパンを選んで来てくれたんだから!
すぐにネガティブな考えは頭の中から消え去り産みたいという気持ちでいっぱいになりました。
だけど・・・。
一瞬だったかもしれないけど、数年たった今でもそんな風に考えてしまった自分を許せないママンがいます。
4度目のマタニティーライフスタート
不安で一瞬悩んだけど、産みたいって気持ちのほうがだんぜんに大きかったから
マタニティライフは幸せいっぱいな妊婦さんでした。
性別が判明したよー♡またまた男の子でしたw
まじかーwww
男の子しか生まれないんじゃない?w
名前は何にしようか?
男の子なら全部おさがりでいいねー♪
なんて、たわいもない会話をする日常を送っていました。
だけど、その日はいきなり来た!
妊娠6ヶ月に入った頃。
いつものように検診に行きました。
医師
今日、夜遅くなってもいいから旦那さんともう一度病院に来てほしんだけど、これるかな?
赤ちゃんに何かあるんですか?
どうしてですか?・・・。
先生を問い詰めてみたけど
医師
旦那さんが一緒の時に話をしたいから連絡が取れたら電話して。
時間は遅くなってもいいからね。
いつも優しくて、とても穏やかな先生なんですが
初めて見る表情で、いい話ではないことは察しがつきました。
パパンの仕事が終わり、夕方一緒に病院へ行きました。
ネガティブな想像しかできないママン。
病院につく前から車の中で泣きじゃくっていました。
病院に着くなり説明をする前に診察を始めだした先生。
ここが首になるんですが、少し浮腫んでいるんですよ。
そしてここが心臓になります。
心臓の方に、異常があるんではないのかな?と思うのですが、大きな病院じゃないと精密な検査ができないんです。
なので、紹介状をお書きします。
そちらの病院に一度精密検査をお受けに行ってもらえませんか?
言われるがままに紹介状を書いてもらい
数日後市内にあるこども病院へパパンと二人で行きました。
あのころを振り返ると、たいちゃん・れんれん・りょう君には申し訳ないことをしてしまったと心から思っています。
こども病院に行くまでの数日、子供達がいるにもかかわらず毎日号泣していました。
ママン大丈夫?泣かんでー!どっか痛いとー?
など、すごく心配をさせてしまいました。
こども病院で診察を受け、パパンと二人で話を聞きました。
こども病院医師
心臓の真ん中に大きな穴が空いているようです。
染色体異常の検査の結果、9トリソミーです。
産まれてきても自分で呼吸をすることが難しいので数秒の命しかないかもしれないと思います。
それでも産みますか?
最悪を想定していたはずなのに、かなり取り乱してしまい
産む以外の選択肢は持ち合わせてないません!
かもしれないってことは、100%死んでしまうって決まったわけじゃないんですよね?
0.1%でも望みがあるのなら産みたいです。
ママンとパパンはこども病院から家へ帰宅し、二人でよく話し合いました。
産むことが本当に正解なのかがわからない。
がんばって産まれてきて苦しい思いをしてすぐに死んでしまうかもしれないんだよ?
それでも本当に産みたいの?
わからない。わからないけど産まないって選択はしたくない。
妊娠が分かった時、一瞬でもおろした方がいいのかもって考えたことがお腹の中で赤ちゃんに伝わって病気になってしまったんかなー?って気がしてしまうんだよね。
かなりの時間二人で話し合って答えを出せないまま月日だけが過ぎて、気がつけば妊娠8か月になっていました。
この頃にはママンの気持ちは、産むって決めていました。
名前もソウちゃんって決まっていました。
そして、明日が健診日って日の夜。
痛いってくらいに胎動がすごく寝れないほどでした。
こんなに元気なんだから病気っていうのもなんかの間違えなんじゃないかな?って思うほどでした。
翌日、病院へ行き健診・・・。
お腹の中で死んでしまっていました。
夜の激しい胎動は、もしかして苦しんでいたのかな?って思っています。
ここからはよく覚えてないのですが、覚えていることだけを書いていきます。
促進剤?で陣痛をつけて普通に出産しました。
あたりまえだけど、ソウちゃんは泣かない。
ママンは子供に戻ったかのよう声を上げて大号泣したのは覚えています。
そのあとの記憶はあまりないのですが、助産師さんに言われた言葉は覚えています。
大丈夫。
きっとまた戻ってくるよ。
ママンとパパンとお兄ちゃん達が毎日楽しそうだったから、ちょっと早くママンのお腹の中に来ちゃったんだよ。
ママンを悲しませるために来たわけじゃないんだよ。
またすぐママンとパパンの所に戻って来るから待っててね。
助産師さんが話しているのに、ソウちゃんに言われているみたいに感じました。
その後、役所への死産の届け出やソウちゃんの葬儀などパパンが動いてくれました。
ママンは、その日から1年半ほどの記憶はほとんどありません。
保育園の行事や家族で旅行に行ったり、ママンも参加していたはずなのに覚えていません。
今では、パパンがとってくれていたホームビデオや写真などを見て記憶の穴埋めをしています。
あたりまえの事など一つもない
ソウちゃんはママンとパパンにあたりまえの事など一つもないってことを教えてくれました。
それはそうでしょ!って思われる方もいると思います。
ママンとパパンは、あたりまえに慣れすぎて忘れがちになってしまっていました。
チビーズが元気に産まれてきてくれたことに感謝。
毎日元気で笑顔がある我が家に感謝。
そして、家族の絆がよりいっそ強くなりました。
今では、ありがとうって気持ちでいっぱいです。
ソウちゃんへ。
元気に産んであげられなくてごめんね。
抱っこもしてあげられなくてごめんね。
もう一回ママとパパの所へ戻ってきてくれると嬉しいな。
だけど次は、めいっぱい元気で帰ってきてね。
いっぱい抱っこもさせてね。
ママもパパも待ってるからね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。